博士と彼女のセオリー

・とにかくずっと画が最高

・ちょっと昔のイギリスの風景マジでどこをとっても最高すぎる

・大学とかマジで最高すぎる、本がいっぱいある教授の部屋?なにあれ、夢か?

・ダンスパーティー?も良すぎる、スーツ着て車にもたれてドレス着て髪をまとめたジェーンをお迎えするシーンから、潜在が光る青白いシーン、橋の上のダンスシーンまですべてが良すぎる。海外の夜の屋外パーティーってとにかくめっちゃ良すぎる。

・結婚式もめっちゃ良すぎる。見終わってからちょっと検索して出てきた実際の結婚式との比較写真見たけどスティーブン氏が似すぎててすごかった

・幸せが終わって絶望が訪れてそれでも幸せにやっていこう…という空気が不穏になってきた教会のシーンでまだ45分しか経ってなくて絶望した

・海辺から始まる五人家族の幸福な風景、あまりの美しさにクラクラした

・キャンプ場のシーンで自然と「頼むから不貞をするな・・・・・・・・・」と思ってしまっていて、なんとなくスティーブンとジェーンの純愛の物語…みたいな先入観?思い込み?があったからだと思うんだけど、だから結局スティーブンもスティーブンで他に親密っぽい女の人ができててジェーンと別れてて(??????)になっちゃったんだけど、プロデューサーと監督のインタビュー?みたいなネットの記事読んだら、「ジョナサンを含めたダイナミックな関係性」について言及しててなるほどねーとなりました。

すなわち、私はすべての愛を認めているつもりだったけど、それでもやっぱり私の中で無意識に「一対一の愛情」が支配的で、それ以外の愛情の形を(無意識に)排除していたんだな~という気づき(そういう風に出てきたものであれば、そういう風にとらえることができるけど、この映画のように混合されて出てくると、一対一の愛情を優先してしまうということに気づいた)

はっきりと明言はされていないけれど、スティーブンはジョナサンが「助けて」くれることを認めていたし、当人たちの合意があればそれが一対一じゃなくても愛情というのは成り立つものだし、もっと言えばそれらすべてを性愛としてしまうことがすごく乱暴だと改めて思いました。

そういう意味では、ジェーンとジョナサンが性愛を抱く関係性になってしまったことがショックだったのかもしれない。

なんか実在の人物をモデルに?して描かれている、ノンフィクションベースのフィクションて本当にグロくて、スティーブンの苦しみもジェーンの苦しみも十分に想像できるのに、それにも関わらず「物語の要素としての完璧さ」を私が求めてしまうからなのだけど、、、

私にとっての「完璧さ」は、例えばスティーブンとジェーンが決してお互いから離れずお互いだけを愛し合ったまま二人で添い遂げること、だったりしたかもしれないけど、

そうでなくてもバッキンガム宮殿?で子どもたちを見ているもう夫婦ではないスティーブンとジェーンっていうのは「完璧な美しさ」で、思わず泣いてしまった。

でも見終わった後に(?????)になっちゃったのはその乖離によるものなんだろうな。

でも本当に、「完璧さ」っていうのは私が思うよりもっと広くて、柔らかくて、多くの者を含むものなんだろうな、って思った。(固定観念に縛られて潔癖になりすぎているのかもしれません)

・とにかくこういう画がサイコーな映画だけを見ていたい