シン・エヴァンゲリオン

4月に最初に見に行ってから、書こう書こうと思ってなんだかんだもう公開終わるような月日が流れてしまいました。
EXTRAEXTRAをもらいに今日2回目を見てきて、本当に本当に、さようならすべてのエヴァンゲリオンをしてきました。(いえ分からない、これがすべての始まりのような気もする)
体系的な感想を書くことができないのでとりとめなくなるだろうけどとりあえず書いておこうと思います。

私が最初にエヴァを見たのは大学1年生の夏休み、テレビ版でした。
もはやほぼ記憶ないんだけどクソ暑いロフトで寝転がってノーパソにかじりついていたはずだ。
私はとにかくいろんなものが見たくて、手当たり次第におもしろいと言われるアニメを見漁っていたのだ。
本当に記憶力が弱いので何も覚えてないんだけど、多分おもしろいと思っていたんだと思う、一度映像を止めて暑いロフトから降りることをしなかったくらいには、夢中になって見ていたんだと思う。
旧劇場版まで見て、今思うとこの時すでにQまで放映されていたはずなんだけど新劇はついこの間シンエヴァ見に行く直前まで見てなかった。

そして大学1年の後期で現代文学の授業(アニメから見る現代文化みたいな)を受講した。
希望者多数で開講前に試験があったんだけど、それが2012年の「巨神兵東京に現る」を見て感想を書くというものだった。
無事受講できて途中エヴァについてもなんか言うてた気がするけど欠席しまくってたしマジで覚えてない。(最悪)(もっかい受けたい)
さらには最終試験は2014年のアニメーター見本市の「龍の歯医者」だった。
この時意識してなかったけど、今思えば舞城王太郎を通して庵野監督や鶴巻監督、スタジオカラーとつながってたのか…という気持ちだ(傲慢すぎる?)

4月にシンエヴァを見て、見るために序破Qを見て、そのあとにNHK庵野監督密着を見て、NHKオンデマンドで完全版も見て、監督不行届を買って読んで、エヴァンゲリオンオールナイトニッポンを聞いて、宇多田ヒカルのインスタライブ庵野監督ゲスト回を見た。
初めて見たときからシンエヴァは「分かりやすい」と思った。
もちろん細部の設定や伏線や意味について全然分かっとらんこともめっちゃあるんだけど、でも伝えたいことというか、テーマというか、何を描いているのかがすごく分かりやすいな、と思った。
そして各メディアで観測できる庵野監督の言葉でもやはり、「分かりやすさ」を重視している姿が印象的だった。
ドキュメンタリーで他スタッフに意図が伝わらなかったために、Aパートを丸々作り直すと言い出した庵野監督を見て、現場の通夜みたいな空気に一瞬触れられた気がした。
そうやって「分かりやすさ」にこだわっただけあって、本当にきれいに、美しく終わった、さよならを言えた、そんな気がします。
庵野監督は自分のためではなくて自分以外のいろんな人のために、この物語をこういう風に終わらせたんだな…と思い、それがそのままシンエヴァの核だと思いました。
「イマジナリーとリアリティー」が錯綜する演出の中で、「現実における(庵野監督とシンジくんの)成長」こそ、ここで描かれたものであり、そして大人になってしまったからこそ、少年の物語は終焉を迎える以外になかったんだと思います。
それはいまだ大人になれない私にとっては悲しいし寂しいけど、でも同時に素晴らしいことだと思います。
大人になるって、本当にスゴすぎる。

以下具体的なこと(ネタバレを含む)
・マリ出てきただけで謎に泣けてしまった、迎えに行くという決意の言葉が強くて“本当”すぎて…
・村のシーンマジでキツいんだ…アスカがシンジに言う言葉マジで全部刺さりすぎる…「生きたくもないけど死にたくもないんでしょ」って本当にそのとおり…
・シンジが綾波(仮)に向かって泣き叫ぶシーンも本当に分かりすぎて胸が痛い。。。なんで自分なんかに皆そんなに優しいんだって分かんなくて苦しいよな。。。
綾波(仮)の生活(というか第3村における人々の生活)、音楽も相まって良すぎる
・リアル造形の巨大綾波エヴァンゲリオンイマジナリー)≒現実の人間に登場人物が「なんかヘン!」て言うの、二次元のキャラクターが二次元で生きているアニメというものを多くの人間が何の違和感を抱くこともなく鑑賞するようになった私達への皮肉か?
・“過去の記憶”かと思いきや撮影セットだったり、カメラのあるスタジオで対話したり、コンテ?原画?状態で海やシンジが描かれたりするの、絶えずイマジナリー(≒虚構≒アニメーションの中、内側≒登場人物の視点)とリアリティー(≒現実≒アニメーションの外側≒創作者の視点)を反復する演出ですごく良かった。
イマジナリーを徹底してメタ化して解体してリアリティーを描いていたと思った。
(なんか最後浜辺で寝てるアスカがすごく肉肉しくて顔も少しリアル寄りの作画で、第3村のベッドとかでパン1で寝てたアスカの奥行きのない作画とすごく対照的だと思ったんですが、そこもイマジナリーを脱した表現だったのかな?)
・自分の手で片をつけるって、シンジはちゃんとそうやると決めて実際にそうやって本当に偉かったし、ゲンドウだって本来的にはそうしたかったんだ…て思った。自分の手でちゃんと失いたかったんじゃないかな
・ゲンドウ、ユイの喪失に向き合えなかったとも言えるけどずっと向き合ってたとも言えると思う、世界をめちゃくちゃにしてでも運命を書き換えてもう一度ユイに会いたかった愛情を私は全然否定できない
・そしてそのゲンドウを助け続けてきた冬月先生に関してもビッグラブすぎん…?と思いました
・全体としていわゆる“恋愛”らしきモノがほとんど描かれなかったところに好感を感じました。ゲンドウとユイだったりミサトさんと加持さんだったり、確かに愛はあるんだけど粘度が低いというか、いやゲンドウの執着はスゴいんだけどなんて言うのかな、「ラブはすべてを救う✌️」みたいな不快さが無かった。
・加持さんと渚司令官のところ全く分かっていません